最寄駅から車で2時間という和歌山県の山奥に、廃校になった小学校を再利用して、全国からニートや引きこもりの若者14人が共同で生活するシェアハウス「NPO共生舎」がある。月額1人2万円で、ネット付きの居住スペースと食事代をまかなう。「自分自身がかつて引きこもりで、今は山奥ニート」と話すのは、同NPO理事で、この春に著書『「山奥ニート」やってます。』(光文社 刊)を上梓し、話題を呼んでいる石井あらたさんだ。その山奥生活について、詳しい話を聞いた。
地域の人々との交流は大切な生活の一部
“山奥ニート”石井さんの生活は、朝はだいたい11時に起きてから今日は何をしようかと考え、焚き火をしたり、リビングで他の人とゲームをしたり、読書したりという、まさにその日暮らし。「自分も含めてニートは先のことを考えるのが苦手だと思う。『今』だけを考えて生きている」と話す石井さん。都会がコロナ禍でマスクや消毒に追われる緊張感ある生活なのと対照的に、コロナ禍でも生活は以前と全く変わりないと話す。
一方で共生舎は、これまで見学者や移住希望者の受け入れを行っていたが、この8月からは全面停止。再開のめどは立っていないという。「(感染症リスクを考えると)地域の方たちと交流しにくくなる」というのが理由だ。石井さんたちが暮らすのは、平均年齢80歳、山奥ニートの他に、徒歩圏内の住人はたった5人という集落。10代から40代の共生舎の住民たちは、キャンプ場の清掃や、梅農家のお手伝いなどをしながら、同じ村や近くの村に住む人たちと関わっている。また、スポーツを一緒に楽しんだり、祭りなどの村の行事にも積極的に関わっているので、こうした配慮は重要だ。
“山奥ニート”になったきっかけは福島でのボランティア
今は、好きなことをしたり、地元の人々のお手伝いをしながら、気ままに山奥ニートライフを送る石井さん。ブログのアフィリエイトで得る月2万円が主な収入だが、それでも家賃0円ということもあって、十分な生活を送れていると感じている。
そんな石井さんが山奥ニートになったきっかけは、2012年に東日本大震災のドブ掃除のボランティアとして出向いた福島での出来事に遡る。当時、すでにニート生活2年目。たまたま友人と旅をしていた広島で東北の被災状況を見て、改めて自分の人生を振り返り「好きなことをやって、死ぬ瞬間に後悔しないようにしたい」と思ったそうだ。そんな石井さんをさらに突き動かしたのが、NPO の人に言われた一言だった。
「ニートや引きこもりの人は、大きな力を溜め込んでいる。でもそれを活かせる機会がない。でもこういう非常時では、それが何より助かる」
以来、「誰かに必要とされたい」という思いを募らせ、同じ思いを持つニート仲間を探しはじめた。同時にニートが集まれば、何か起こるのではないかと漠然と考えるようになった。「同じ種類の人間が集まれば、互いに強化しあって、そこから何か文化のようなものが生まれるのではないか」と思ったのだ。
こうしたなかで出会ったのが、今も山奥で生活を共にする“ジョーくん”だ。彼の紹介で、2014年にNPO 共生舎のことを知り、「親の目を気にせず、思う存分引きこもる」ために山奥で生活することを決めた。
人がいること自体が希少な山奥だから感じる“人”の価値
アニメを観て、ゲームをして、SNSして、寝る。ある意味、今も「引きこもったまま」。それでも、都市部で暮らしていたときよりも人とのふれあいは圧倒的に増えた。村おこしやビジネスなどで能動的に集落に関わっているわけではない。「引きこもる範囲が自分の部屋から、集落に広がったんです」と石井さん。
山奥で暮らし始めてみて、こもることが目的でやってきたにもかかわらず、NPOの事務を一手に引き受け、その生活が楽しい故に、自然と集落の人や地域の人たちとの交流が増えていった。そんな中で石井さんが気付いたことは「便利なところには、便利な分、人が多い。人間が希少な分、山奥では一人の人間の力が非常に大きいので、価値が大きい」ということ。
「この山奥ぐらい不便な場所というのは、僕たち共生舎の住民がここからいなくなったら向こう100年人が住まなくなってもおかしくない。そのおかげで、(地域に住むほかの)みんなが優しくしてくれる。人間が希少なので、何よりも貴重な存在として扱ってくれる」と続ける。
つい先日、11月3日に行われた集落の祭りを共生舎の住人十数人で手伝った。毎年、山の上のお宮までお参りに行くのだが、そこまでたどり着ける地域の人は2人しかいない。「『あんたらがいなかったら、寂しい祭りになっただろうなぁ。来てくれてありがとう』と言われました。枯れ木も山のにぎわいじゃないですけど、一人ひとりは大して役に立ちませんが、頭数いるだけでも喜ばれるのが山奥です。お酒飲むのに付き合うだけで、すごく喜んでくれるんですよ」と、山奥生活で、改めて「人がいることの価値」を体感していると話す。
家でも人の気配を感じながら、心地よく生活している
石井さんが拠点にしている共生舎での住民たちのメインの交流場は、広いリビング。共生舎はいわゆるシェアハウスだが、廃校になった小学校を利用しているため、スペースは十分すぎるほどに広い。
シェアハウスといえば、都会だと音や臭いなどが問題になりがちだが、そういったトラブルは皆無。それぞれがソーシャルディスタンスを保ちながら生活しているという。
「40畳ぐらいあるリビングに、8~10人が常にいて、好きなことをしています。リビングが広いと、部屋の隅と隅で別の話ができるんです。そうすると、あっちのほうで面白い話をしてるなと思ったら、そっちに席を移って話に加わることができる。狭いリビングだと、一つの話をしていたらその話に参加するしかない。別々の部屋だと、面白いことしているか分からない。広い一つのリビングだからこそ、自分が加わる話題を選ぶことができて、ある種Twitterのような、ゆるいコミュニケーションができます。実際、リビングにいるけどそれぞれで別のことで遊んでいる光景をよく見ますね。
上手に距離を保ちながら、一緒にゲームをしたり、映画を観たりする人もいれば、一人で読書する人もいます」住居スペースの広さを確保しにくい都市部と比べ、山奥は家の中も、外も開放的なのだ。
山奥生活に向いているのは、自分で楽しいことが見つけられる人
石井さんが集落にやってきてから過去7年に、累計40人がこの共生舎で生活をしてきた。見学には200人が訪れた。「住みたいという人を選り好みしようとはしなくなった」が、いくら広い居住空間で生活しているとはいえ、血のつながりや、もともと知り合い同士でもない他人が共同生活を送るには、ルールが必要。
NPOの運営は現在石井さんを含む古参の3人が“独裁政治”で担っている。「ニートたちは概ね仲がいいのですが、何かを決めるときは3人で相談して決めています。そんなことは1年に1度あるかないかですが」と話す。「ほとんどの場合、この山奥が合う人は残って、合わないと思う人は自然と去っていく」
今年だけですでに4人が入れ替わった。「(山奥での生活は、)自分で楽しいことが見つけられる人が向いていると思う」と石井さん。都会のいいところである、思いもよらない出会いはなかなかないので、出会いなしには生きられないという人には、山奥は向かないのかもしれない。またお互いが好き勝手にやっていることを面白がれるかどうか、それが共同生活の秘訣だ。
ちなみに、住民全員がニートというわけではなくリモートワークで働く人がいたり、一時的な滞在組と永住組が混在したりしている。
「『(仕事をしていてもしていなくても、滞在でも永住でも)どちらでもいいよ』というスタンスは、ニート支援をする他のNPOなどの組織と比べて、とても珍しい立ち位置。誰にも先のことなんて分からないのに、どうするかなんて決められないから。だから『どちらでもいい』んです」と、いたってシンプルな理由で寛大な方向性が決められている。
過ごし方も、仕事をする・しないも、お互いとの関わり方も、「どちらでもいい」。時にNPOなどの取り組みの“●●しなければならない”に息苦しさを感じる人もいるように思う。
ただ、共同生活をする上で、それぞれが何らかの手伝いをすることはほぼ暗黙の了解で義務のようにはなっているとのこと。食事を用意する、掃除をする、ゴミ出しをするといったことを、住民は厳しい決め事をせずに自然と手を貸し合いながら生活している。
山奥ニートになって、“自分が知らなかった感情”を知った
著書で、生まれて初めて「マジギレした(マジで怒った)」事件について触れた石井さん。普段は温厚で、嫌なこともすぐに忘れる性格だが、山奥生活を始めて3年目に、どうしても人やモノに当たらずにはいられない日があった。それは「自分の知らなかった感情」だった。
“マジギレ”だなんて、ネガティブなイメージがあるかもしれないが、今では石井さんはポジティブに受け止めている。「“マジギレ”したというのは、それだけ僕が人と関わって生きているという証拠だと思う。人と関わったからこそ、自分を知ることができた。自分がムカっとする相手に会ったときにどんな反応をするのかを知るということは、逆に自分が何に心地よさを感じ、何に嫌悪するのかが分かるようになるということだから」(石井さん)
自分の感情を自然に発露できた山奥での生活のおかげで、怒り、心地よさ、嫌悪といった「感情」が自分の中に芽生えたと感じている。
それに、感情的であることは悪いことではないとも思っている。
「一人で生きていくということはかなり大変で、強い人でないと生きられない。弱い人は、弱い人同士が繋がって、生きていく方がいい。感情的になるということは、弱さも見せていくということ。だから、人と人の“しがらみ”もある程度必要だと思うんです」
コロナ禍で山奥生活を再確認
石井さんは、1カ月だけ共生舎に住んだことのある女性と3年前に結婚した。現在3カ月に1度、1カ月ほど名古屋に住む妻のところに滞在する“二拠点生活”を送っている。
山奥の生活はコロナ禍での変化がまったくない分、「マスクが必須になった都会は、以前以上に息苦しく映る」と石井さん。街中を歩くにもどこか罪悪感を抱かずにはいられず、何も考えずに歩ける山奥の暮らしがやはり好きだと再認識している。
とはいえ、都会の生活も嫌いではない様子。「山奥の生活の一番の魅力は生活費の安さ。都会の良さは、遊ぶ場所がある、新しい面白い人と出会える、食べ物の選択肢が多いということ。それぞれにいいところがある。都会のいいところを山奥に持っていけたら面白そうだと思うんですよね」
コロナ禍でオンラインでのコミュニケーションが一般的になり、石井さんは山奥にいながらにして地元の友達とのオンライン飲み会も頻繁に楽しむようになった。確かに、山奥での不便さも尊いものだが、都会の良いところも取り入れれば、より住みやすくなりそうだ。
「山奥にも住む人が増えたら最高」と話し、「共生舎に住むことは物理的に難しくても、周辺集落にもっと人が移り住んでくれたらうれしい」と続ける。「将来的には、妻も山奥生活することを考えているようです」
コロナ禍のこの半年、外出規制になったり、先の予定を全てキャンセルすることも余儀なくされた。予定やルーティンがベースにあった毎日が一変し、日々の過ごし方や、暮らしたい場所、仕事観など、価値観が大きく変わった人も多いだろう。それぞれが新しい生き方を模索するなかで、“山奥ニート”石井さんの「先を考えず、その時その時を思うままに暮らしているのに充実感を感じられている」生き方は、凝り固まった私たちの価値観にちょっと変化を与えてくれるように思う。
石井さんは、「就職して働いている人は、やっぱり立派です」と言いつつ、このウィズコロナ時代を「先のことを考えることが苦手な僕たちにとっては生きやすい時代」と話す。「働くこと以外なら、なんでもやる気があるんです」という石井さんは、山奥の暮らしをもっと楽しんでやろうと大きな野望を抱いている。
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