子どもをインターナショナルスクールに入れてよかったな、と思うことの一つに、学校が主催する親向けのワークショップで、大人になっても学ぶ機会があることです。今朝久しぶりにワークショップに参加しました。テーマは「バイリンガル、マルチリンガルを育てる(Raising Bilingual and Multilingual Children)」です。 参加者の多くは、幼稚園や小学校の在校生ママやパパですが、中には中学や高校に上がった子どもを持つ人もいました。ワークショップそのものは、小学校の子どもたちを指導している「言語(英語)」の先生たち。ただ日本人の私やおそらく多くの日本人が抱く「国語の先生」とはまーーーたく意味合いの違う感性を持っている先生たちです。知識ももちろん、言語に対するアプローチも日本的な語学の先生とは全然違います。 と言うのも、日本にあるとはいえ、インタナショナルスクールゆえに、生徒たちの母国語は本当にさまざま。アジア言語の子どももいれば、中東やラテン系の言葉を話す子たちもいるわけで、その子たちに英語のイロハを教えるだけでなく、普段の授業では英語の語学力に違う子どもたちに対して、「英語」を使った語学を学ばせるわけです。 息子の学年を担当してくれている先生は、1年生の時に「アクションノベル=つまりマンガ」の書き方について、指導に来てくれたそうです。日本の国語の授業で、「マンガの書き方」なんて私は習いませんでしたが、マンガは確かに「感情」を表現したり、強調する方法として、吹き出しをギザギザにしたり、文字を太くしたりと色々な手法があります。 作文を教える手前に、道筋考えて、結論を作るといういわゆる文章の構成を学ぶ手段として、こういうアプローチの仕方をすることに、正直衝撃を受けたと同時に、分かりやすくて楽しい課題だな、と思ったことを覚えています。 〜〜〜 さて、そんな先生たちがファシリテーターとなって進んだワークショップで印象的な言葉を箇条書きにまとめてみました。 1. Social Language vs Academic Language 社会的、社会と交わるための言語と、教育を受けた言葉 という日本語でよいでしょうか ワークショップの話しによると、最初の社会性を身につけるレベルの言語は、「1、2年」で身につくと言います。一方、読み書きがしっかりできる言語として複雑な構造を理解できるレベルは「5〜7年」はかかるといいます。 2. Same topic discuss in mother language as well 同じ議題を、母国語でも話す インターの環境では、学校で英語、家で母国語という子が多いのですが、子どもの母国語教育を伸ばすには、学校で学んだこと、議論したことなどについて、英語で話すだけでなく、同じ内容を母国語でも話すことで、語彙力、語学力(母国語の)を高められると言っていました。 3. Positive feeling about languages 実際、現在は脳科学なども進んで他言語を話す人の構造などについても研究が進んでいるそうで、いろいろな語学のアプローチ手法があります。例えば「One language-one location(一箇所で一言語)」や、「One person-one language(一人一言語)」がその例です。 でもワークショップで先生たちが強調していたのは、語学を学ぶことに対して何よりも「ポジティブ(前向き)」な感情を持つことが一番大切だ、ということでした。 ママたちの中には、子どもの間違えをすぐに直すべきか、といった質問をしていました。"I go to the book store yesterday"といった子どもに対しては、お母さんが"Oh, you WENT to the book store yesterday, huh?"といったような形で対応する。"You made a mistake, you should say WENT not GO because it is a past sentence"といったような言い方は間違ってもしない方がいい、というわけです。 4. M- Child internal means , O - Opportunity , M - Motivation 子どもが語学を学ぶ「意味(M)」、語学を学べる「機会(O)」、語学を学ぶための「やる気(M)」 このMOMという3つが、語学力を高めるキーワード おじいちゃん、おばあちゃんと話しをするために、ある言葉を学ばないといけない、ということは一つのモチベーション、やる気の源になります。日本では好きな芸能人と話したい、その人の言葉を理解したい、ということで、韓国語や英語を学ぶ人がたくさんいますが、これってすごく大きなモチベーションだと思います。 〜〜〜 こうしたワークショップを体験して、日本の英語教育について改めて考えてみました。 どう考えてもあんまり「Positive feeling about languages」な気がしません。私は幸い、あちこちで英語を学ぶ機会があって、日本流に固執した習い方をしなかったおかげで今がありますが、こと「学校教育」という面で考えると、同じ学校で、同じ教師たちに習っていても、私と友人たちとでは英語力についていつの間にか大きな開きができました。 開きの一つには、モチベーションの違いが挙げられると思います。私は中学に上がる頃には、すっかり米国文化に魅せられていました。いつか住みたい、こうなりたい、ああなりたいはいつも海の向こうの女の子たちだったので、自然とその場所に行くための準備として英語の必要性を感じていたわけです。 大学で出会った友人の中には、それが韓国語だったり、中国語だったりした子がいました。逆に日本で出会った外国人の友人たちの日本語力に感激したこともあります。いづれも明確な「モチベーション」「その言語を学ぶ意味」をしっかり持っていた人たちばかりです。 どうもその辺りの理由付けを、子どもたちに教えることを日本の学校教育は忘れてしまっているような気がしています。学ぶことの楽しさ、喜びを自分で見つけられた子はいいですが、そこに到達する前に「落ちこぼれ」のラベルを貼られてしまう子も多いのが現実なのではないか、と感じてしまう今日この頃です。